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2011年、『KALINGA』と題された1冊の分厚い本が世界のタトゥーアーティスト達に衝撃を与えました。著者のラース・クルータックはアメリカのスミソニアン博物館の考古学者ですが、ディスカバリーチャンネル『TATTOO HUNTER』のリポーターとしてより広く世界中に知られています。フィリピン、ルソン島(luzon)の高地に、今も文明とたもとを分って古来の伝統生活を守り続けるカリンガ族(kalinga)のトライバルタトゥーを紹介したその本には、今や大航海時代の資料デッサンでしかみることができなくなったレベルの本物の意味でのトライバルタトゥーが、現在進行形の生きたカルチャーとして豊富な写真に収められていたのでした。まるで服を着たように身体を覆うその流麗なパターンはインパクトに満ちていて、これが今までのタトゥーシーンで着目されていなかったことがとても不思議に思えました。

かつてのフィリピンでは、ルソン島のイゴロ(igorot)、ティンギアン(tinguian)、ビサヤ諸島(bisaya)のピンタド(pintado)、イロカノ(ilokano)や、ミンダナオ島(mindanao)の数多くの部族達などによって非常に盛大にトライバルタトゥーが行われていました。ほとんどの者が全身を覆うまでにそれを施していたようです。それらはボルネオのケースと同様に通過儀礼としての首狩りの風習と強い結びつきを持っていました。そしてデザインとしての大きな特徴には構図が身体に対してシンメトリー(左右対称)であることと、繊維が織りなされるかのように複雑なディティールのラインワークであることがあげられます。当時のヨーロッパ人宣教師の一人は『まるで中国の布地のようである』とその様子を記しています。

中国の布地のような模様のトライバルタトゥーは実はこのフィリピンのケースだけではなく、中国の周辺エリアであるラオスやベトナム、海南島(hainan)、台湾、沖縄などには共通して見られ、沖縄では織物で一定のパターンを習得した女性はそれをタトゥーとしても良いというルールなどのよりダイレクトな布地とタトゥーの関係も記録されていますが、地理的に見てこれらが実際に中国からの影響を受けていたというアイデアはごく自然なものでしょう。また一方、中国などで服が持つ実用性以外の側面が、気候的に必ずしも服を着なくてもすむこれらの地域、部族にとってはトライバルタトゥーで表現されていたと考えることでそれらの構図が服のように左右対称になっていることもすんなりと理解できるように思います。つまりファッションの共有ですね。

カリンガ族が今日まで彼らの伝統を保持することができたのは、居住地域が人里離れた高地であったことに加え、あまりにも激しく残忍な首狩り族という悪名のおかげでさらに人が寄り付かなかったためとされていますが、それでもこれは奇跡的なことのように思えます。そしてその価値の重要性に気づいて彼らにスポットライトを当てたのは、アメリカに渡ったフィリピン系アメリカ人達のコミュニティーでした。1980年代後半のポリネシアと同じように、先進社会の空気に触れた人々があらためて己とは何かと自問し始め、民族アイデンティティの復興運動を始めたということなのでしょう。

*Photo「MARK OF THE FOUR WAVES TRIBE」

エレ・フェスティン。

アメリカ、カリフォルニア州のLA郊外にあるSpiritual Journey Tattooのオーナーアーティスト。フィリピン諸部族のトライバルタトゥーのリバイバルを、正確な再現モノからミクスチャーアレンジまで手広くこなす、2016年現在未だ唯一無二の存在。

ラース・クルタク博士の『カリンガ』が出版されて以来、僕はエレ氏とそのチーム『 The Mark of the four waves tribes』の動向にずっと注目してきました。トライバルタトゥーにインスパイアされたブラックワークを専門的に手掛ける者として、僕は今までいろいろなリバイバルタトゥーを見てきました。何千、何万というアーティスト達が関わるポリネシアンみたいな巨大なシーンから、世界の辺境で人知れず花を咲かせた個人レベルの活動まで。そういった経験から見て、彼の仕事はかなり特殊、というかもはや異常だとすら思っているんです。

リバイバルタトゥーのパイオニアが生み出す作品は概して小さくて未熟で、それがこれまでに無かったリバイバルなのだという事実以外は特筆すべきことはないのが常であります。大きなジャンル、ポリネシアやボルネオやノルディックみたいなシーンになるにつれて、つまりマーケットが形成され、アーティストが多く関わるにつれて、技術、センスは洗練され、タトゥーのサイズもアップして来るわけです。普通は。しかしその定規の全く通用しないのがエレ氏の作品なのです。最初からフルスケール。メジャーなリバイバルタトゥー、いやブラックワーク全体の、どのようなアーティストも並ぶことなど出来ない完璧な全身作品群。

休暇で来日し、我が家に宿泊しているエレ氏にその謎について直撃してみました。率直に聞きますけど、どうして初めからあんなにたくさんの全身規模の作品を連発出来たんですか?あり得ないですよね?

「いや、そういったニーズは潜在的にあったんだ。僕はフィリピン系アメリカ人の一世だけど、何人でも移民して異文化に身を置くと、否応なしに自分のルーツを意識してツルんだりするようになるんだよ。」

それはよく分かりますよ。僕も海外の日本人から縄文タトゥーを依頼されることはすごく多いですから。でもあのサイズですよ?

「僕らの先祖たちがやっていたのはそういうサイズのトライバルタトゥーなんだよ。」

いやいや、資料に残る世界中の、特に暖かいエリアのほとんどのトライバルタトゥーはもともと全身規模ですよ。でも現代のタトゥーのマーケットであなたの活動以外でそれをやってのけてる例なんてありませんよ。

「そこに特化したお客さんのグループを作ってみたんだよ。メンバーシップのマークも作って。それでパーティーとかを開いて民族衣装で集合写真とか撮ってポスターにしたりしていたら、そのうちみんなノリノリになってきて、競うようにして大きな作品を入れ始めたんだよ。みんなそういうのに飢えていたんだろうな、アジア人の移民として小さくなって暮らしてたから。」

なるほど。より美しい被写体である、という視点が向かう先は当然トータルのバランスになりますよね。メンバーシップの団結と内部の競争も和彫りの御神輿の会みたいなものですね。あの人たちも沢山彫り物入れますもんね。…巧いこと考えましたね。やっぱ天才ですね。僕はあなたの作品に出会ってなかったら縄文プロジェクトはたぶん企画していなかった。

「ワオ!それならうちのチームのマークを君にプレゼントしたいな。フィリピン人以外でそれを彫るのはラース博士と君だけだ。」

ハハハ、それは身に余る光栄ですね。ありがとう兄弟。これからもお互い磨き合いましょうよ。

引用
著書:「traibal tattoo designs from the americas 」出版:mundurucu publishers
著書:「traibal tattoo design」出版:the pepin press
著書: 吉岡郁夫「いれずみ(文身)の人類学」出版:雄山閣

参考文献
著書:「THE WORLD OF TATTOO」Maaten Hesselt van Dinter著 KIT PUBLISHER
著書:「世界民族モノ図鑑」明石書店
著書:「EXPEDITION NAGA」 著者:peter van ham&jamie saul 出版:antique collectors, club
著書:「MAU MOKO The World of Maori Tattoo」Ngahuia Te Awekotuku with Linda Waimarie Nicora
著書:「縄文人の入墨」高山純, 講談社
著書:「TATTOO an anthropology」MAKIKO KUWAHARA, BERG
著書:「GRAFISMO INDIGENA」LUX VIDAL, Studio Nobel

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